嫌好の日記

心に思い浮かぶことを、ろくに本も読まずに書いた雑記帳です。従って、たいそう訳の分からないことも多いでしょうが、暖かい目で見てやってください。

徒然草 現代語訳の現代語訳(14)

第一四段 和歌について

和歌はサイコー。低学歴のすることも、脳筋のすることも和歌で詠むとなんかイイ。
怖い獣も和歌にすればマトモになる。
でも最近の歌はダメ。一箇所だけ上手いことはあるけど、雰囲気とかまるでダメ。
昔、紀貫之が「糸によるものならなくに」とか歌って「クズすぎ」などと批判されたが、最近の歌より数倍はマシ。
さっきの歌は古今集にあるけど、この時代の歌ってのはみんなあんな感じだよ。
なんで紀貫之の歌ばかり批判されるのか分からん。みんなアホなん?
この歌は源氏物語でも引用されてるくらいなんだが。

新古今集の「残る松さへ峰にさびしき」って歌も、同様に「クズ歌」だと評価されてるけど、それはしゃーない。ごてごてと飾りすぎだもんな。
でも源家長の日記を勝手に見てみると「 天皇に褒められた」と書いてある。
世の中分からん。

歌の道だけは今も昔も変わらないというが、まあ嘘だろう。やっぱ昔の方が良かった。
今の人間が使う言葉や歌枕も、昔の奴が読んだ方が上品で感動する。
梁塵秘抄にある俗な歌も感動的だ。
どんなにテキトーな言葉でも昔の奴が言うと素晴らしいのだろう。

徒然草 現代語訳の現代語訳(12)

第十二段 語り合いたい

自分と同じタイプのオタクと語り合いたい。
しかし、そういうオタクが都合よくいるはずもなく、大抵は相手の顔色を伺ってビクビク話す羽目になる。これめっちゃツライ。
オタク同士で議論して「なるほどー」と思うこともあるけど、基本意見が食い違う。
そういう時は「俺は違うが」などと口論が始まる。
そして「だからぁ、こうだろ?」などと論破してやるのは最高。
孤独な退屈も慰められる。
まあ人と人とは違うので、真のマブダチなどできることはない。
世間話くらいならいいが、分かり合うことなんてできないのだ。悲しいなあ。

徒然草 現代語訳の現代語訳(11)

第十一段 蜜柑の木

10月ごろに山里に行ったのよ。まあ、知り合いを訪ねたんだが。
コケだらけの長い細道を歩くと、そいつの家があった。
何も無くて静かなのに、菊やモミジだけがお供えしてあって、やっぱ人が住んでるのかと思った。
それで俺は「何も無くても人は生きていけるのだなあ」と感心してたのに、庭の方を見ると柵でガチガチにガードされた蜜柑の木があって萎えた。
ほんと興ざめ。
こんな木がなければ最高だったのに。

徒然草 現代語訳の現代語訳(10)

第十段 住まいについて

家とかどうでも良いけど、住んでるヤツに似合った家は激アツ。
エリートがはんなり住む場所はやっぱり何かが違う。差し込む月光もなんかイイ。
庭は自然で、インテリアがレトロな感じで並んでるのが良い。
いろいろ手間暇かけるのは逆に酷い。
高級家具や造花とか置くのは最悪。
そんなことしても人間いつかは死ぬから。火事になったら全部消え失せるから。
だいたい、家を見ると住む人間の程度が分かる。
これは昔の左大臣の話なんだが、そいつ鳶がウザいから屋根を縄でガードしたのよ。
それを見た西行が「鳶くらいで心狭すぎ。」って言って、二度と来なかったわけ。
俺もこの間偉い人の家に行ったら縄ガードがあって、この話と同じじゃんと思ったら、実は縄ガードしたのは「屋根に止まったカラスが池のカエルを食うのが可哀想だから」とのこと。
なるほどなあと思ったが、それなら昔の左大臣にも何か理由があったのかも?とも思った。

徒然草 現代語訳の現代語訳(9)

第九段 性欲は恐ろしい

黒髪ロングは至高。
身分や性格ってのは声を聞けば余裕で分かる。
だいたい、女というのはちょっとの仕草で男を惑わす。男の気を引くことしか考えていないよ。
性欲はヤバい。いろいろな欲望があるけど、性欲だけは止められない。中学生もジジイも高学歴もDQNも同じ。性欲はマジでヤバい。
女の髪でできたロープとかで縛られたいだろ?
女の履いた靴とか最高だろ?
男として一番抑えるべきなのはこの性欲の迷いだな。

死について考える

先日、中国・大連に旅行することがあった。ツアー旅行だったのでバスでの移動が多く、移動中はもっぱら睡眠をとっていた。その時に思いついたことを忘れたくないので記事にする。もしすでに言及された説なのであれば、調べてみたい。

 思いついたのは「死後の世界=夢」なのではないかということだ。寝ているのと死んでいるのは変わらないということはよく言われる。寝ているときに見るのが夢なのであれば、死んでいるときに夢を見るのもおかしくはないだろう。現実の世界での行いと夢には深い関係があるように思われる。現実で後ろめたいことがあると悪夢を見るし、善い行いをすると良い夢を見ることが多い。天道、是か非か?のところでも話したが、古来から善い行いをすれば報われ、悪い行いをすれば懲罰されるというのは言い慣わされてきた。死後の世界もそうで、現世で善い行いをすれば天国に行き、悪い行いをすれば地獄に行くというのは子供のころから教えられる概念だ。もし「死後の世界=夢」なのであれば、地獄は悪夢ということになる。先にも述べたように、現実での行いは夢に影響を及ぼすのであれば、悪いことをしたら悪夢(地獄)を見るというのは極めて論理的である。現実と現世、死後と夢、これらには深い関係があるのではないだろうか。